弱法師 yoroboshi

※最下部に、演奏会での解説を貼っています※

 

 

 

散りかかる

 

梅の花 

 

はらはらと 

 

袖先に とどまりて

 

 

 

かぐわしき 

 

愛しき 

 

その 花びらに 

 

 

心 あふれて 

 

涙ぐむ

 

 

 

西方へ 沈みゆく 

 

入り日 ならば 

 

 

見えぬとも 

 

目に 浮かぶ

 

 

 

 

なにもかも 

 

赦されて 

 

ここに あらば 

 

 

どこまでも

 

飛べるよう

 

 

 

ひとに 

 

つまづき 

 

よろめきながら 

 

 

それでも 

 

見えない なにかが 

 

わたしを 

 

諭すのです

 

 

 

乞食と 嘲笑う

 

波の なかに 

 

懐かしき 

 

その 気配 

 

 

 

名乗られて 

 

駆け寄ってきた人の 

 

 

忘れ得ぬ 

 

ぬくもりよ 

 

 

父と 名を呼び 

 

この手を ひかれ

 

 

里へと 帰る日 

 

来るとは ゆめにも 

 

想わぬこと

 

 

 

なにもかも 

 

このときのために

 

あれば

 

 

過ぎた日も 

 

ゆめのよう 

 

 

過ぎた日も 

 

恵みと 知る

 

  

 


<曲の解説>

 幽玄世界のにじり口の初演(2017.12.22)にて

 お配りしたパンプレットの文章を、そのまま

 転載します。

 

 

幽玄世界のにじり口     2017.12.22.

 

本日は、ご来場いただき誠にありがとうございます!

今宵お届けする曲は、お能の演目を題材に創作させて

いただいた、十四篇の梅吉曲でございます。

 

お能について正式な知識もない梅吉の、個人的な感性

のみで、自由気儘に創らせていただいている楽曲であ

りますことをご了承のうえ、十四篇の世界をご堪能頂

けましたなら、幸いでございますm(_ _)m  

 

<弱法師(摂津·四天王寺)>

人の讒言を信じて息子を追放してしまった父(高安左衛

門尉通俊)は、すぐにそれが偽りであったことがわかり

後悔して、罪滅ぼしのために、河内から天王寺に来て

七日間の施行を営みます。その彼岸の中日、悲しみの

あまり盲目の乞食法師となった息子の弱法師(俊徳丸)

が杖にすがりながら施しを受けようと辿り着きます。

弱法師は、我が身の不運を嘆きながらも、梅の匂いに

心を通わせる、純粋な心を持っていました。

日暮れには、入り日に西方浄土を拝み、難波の浦の美

しい風景を心眼で見て心高ぶりますが、現実には人に

ぶつかり笑われる、我が身のみじめさを知ります。

我が子と気づいた父は、人影の途絶える夜更けを待っ

て名乗り出て、息子との再会をはたし、高安の里へと

連れて帰ります。世の不条理、世間体を気にする父に

ガッカリしてしまいますが、弱法師のどこまでも純粋

な心に、癒されてしまうお話です。

日想観:仏教の修業のひとつで、西方に沈む夕日をみ

ながら極楽浄土を想う行法で、空海さんが始めたそう

です。四天王寺の日想観は建立当時、門前が波打際で

西門から眺める夕日がそれは美しかったそうです。