源氏供養 genjikuyo

※最下部に、冒頭の語り&解説等を貼っています。

 

春の琵琶湖 (安居院法印)       

                                                        

 空に 有明の月 

 

 煙たなびく 湖畔よ

 

 

 花の 盛りの

 

 都を あとに 

 

 この地を 歩けば

 

 

 紫の 薄衣

 

 声かける 女(ひと)

 

 

 ほかに 

 

 人影も ない 

 

 春の 琵琶湖の

 

 湖畔よ

 

 

 

告白(紫式部の霊)   

 

 ここ 石山寺で 

 

 書き上げたものが 

 

  あぁ…

 

 

虚しき想い(紫式部の霊)    

 

 絵空事 とや 

 

 美辞麗句… 

 

 飾り立てたることの 

 

 罪ぞと…

 

 

 

物語(ゆめ)の舞(紫式部の霊)

 

 Instrumental

 

 

のちの世の乙女よ(紫式部の霊)       

 

 迷いの 雲が 

 

 晴れ やらず 

 

 蓮の台の 

 

 やすらぎを

 

 

 願い ながら 

 

 彷徨う 身だと 

 

 語りつがれる 

 

 なんて

 

 

 かの日(時代) 

 

 うわさの 針筵 

 

 苛まされる

 

 声の 

 

 夜な 夜な

 

 

 なれど 

 

 

 この 身を 

 

 投げ込ませ 

 

 紡ぎ つづけて

 

 きたものが

 

 

 やがては 

 

 時の矢を 超えて

 

 つづく 

 

 乙女の 枕辺に

 

 

 

 寄り添う 灯りと 

 

 なるように…

 

 

 はてなき 恋の 

 

 綴れ 織り 

 

 物語(ゆめ)に 遺りて 

 

 永遠と なれ

 

 

 いつの世 にも 

 

 乙女たちよ 

 

 花を 

 

 咲かせよ…と

 

 

 


<語り(冒頭)>

 唱導の文筆を稼業とする安居院法院が、

 春の琵琶湖を訪れ、そのほとりを歩いて

 いると、薄衣を纏った女性がおぼろげに

 姿をみせました。あれは…

 ありし日の紫式部、その人でしょうか…。


曲の解説等>

鎌倉時代の説話の中に、源氏物語を書いた紫式部が

「狂言綺語」の罪で、死後に地獄におちたというお話

が遺されています。(そして実際、その罪を救うため

「源氏供養」という法会が開催されていたようです)

「狂言綺語」とは、飾り立てた言葉や戯言のことで、

和歌や物語を卑しめる表現として使われていたらしき。

つまり、源氏物語のような、架空の物語の創作は、

言葉を弄ぶようなもので、

仏教における五戒の一つ、

「不妄語戒(ウソついちゃダメ!)」に反する

と捉えられてしまったわけです(><)

 

あの源氏物語が、そんなむちゃくちゃなバッシングを

世間から受けていた時期があったとは…。

(注:「狂言綺語」はその後、逆に仏教の修行になる

という考え「和歌陀羅尼(説)」へと発展しています)

 

お能の演目「源氏供養」では、紫式部の亡霊が、

そんな苦悩を吐露する形で描かれているようなんですが

一方、和泉式部は「東北(軒端の梅)」という演目の中で

「歌舞の菩薩」として、讃えられています。

「物語」と「和歌」の違いだけで、この扱いの差??

…と、なんだか不公平な感じがしてしまいます(><)

 

慎ましく生きた紫式部、対して、恋多き和泉式部、

という印象があるから余計そう感じるのでしょうか。

(あくまでも個人的主観ですm(__)m)

 

お能では、和歌の功徳を説いた演目が沢山あるので、

和歌を詠む人物は好印象だったんだなーと感じます。

 

源氏物語を描いた紫式部は、かなり不名誉な見方をされた

時代もあったのかと思うと、なんだかとても気の毒です。

フィクションとノンフィクション、作品を愉しむ人々に

とって、それがどれほど重要でしょうか…。

 

現在も人々に愛され高い評価を受けている「源氏物語」が

そんな風に、架空の物語を創った、という理由で咎められ、

槍玉に挙げられた時代があったんですね…。

 

「源氏供養」というお能の演目では、なんと、紫式部の霊が

その罪に苦悩して救いを求める(←安居院法印(唱導文筆が家業)

とのやりとりを通して)、という場面が描かれているのですが、

これがどうも、腑に落ちません。

生涯をかけて作品を世に出した創作者が、そんな謂れのない

世間の批判を真に受けて、懺悔をしたりするものだろうか…と、

楽曲を手がける身としても、とても疑問に思いました。

 

紫式部の本意は、まったく違うところにあるのでは…、という

勝手な想像により、この曲を創らせて頂きました。

源氏物語が、後世もずっと愛され続けているということを、

あちらから眺めているお姿が、目に浮かぶばかりです☆


<余談>

 唱導と説経が同じものなのかどうか、よくわかりませんが、

 2018年1月、石川県の元ご住職の節談説経?を拝聴しました。

 腹に響くような倍音がかったお声が、とても心地よかった☆